
名前 村越麻紀子
生年月日 1980年12月25日
血液型 B型
出身地 千葉県千葉市
◼️鍼灸師になったきっかけ
私は子供の頃誰かの肩を揉むのが好きでした。
大人は,皆喜んでくれました。
誰よりも喜んだのはお母さんでした。暖かくてとってもいい手だね。楽になったよありがとう。
日頃厳しい母です。褒められて私は嬉しく、そして不思議に思いました。筋肉って掴んだり押したりするとなぜ柔らかくなるの?なぜ気持ちいいの?とても面白い!
自分の興味、探究心と大好きなお母さんの幸せが重なる特別な経験でした。
今,肩揉みは鍼灸に形を変え、私に同じ感動を与えてくれます。私の手でもって人の体を治療する不思議さ,奥深さ,面白さ。そして目の前の人を幸せにしたい。
鍼灸の中には子供の頃感じた素朴で深い喜びがあります。
◼️妊活鍼灸
大学を出て一旦就職したものの、自分の手で人の体を治したい,その気持ちは強く,27歳で鍼灸師になることに決めました。
同年,前職の治療院に学生アシスタントとして入職。当時珍しい妊活鍼灸を提供している治療院でした。
子供が欲しい人を応援したかったのです。
変な話ですけど、私は子供を産む!と明確なビジョンがある小学生でした。
子供が欲しいのに妊娠できない.それはどんなに辛く悲しいことか。自分の人生をいかに暗くするか。
そんな患者様の心に寄り添い,出来うる限りの援助をするのは、とてもやりがいを感じる仕事です。
また,以前の職場は外国人も多く,英語でも治療しておりました。海外嗜好が強く知的好奇心旺盛な私にとって素晴らしい職場で、気づけば18年お世話になりました。とても感謝しています。
◼️卵巣年齢45歳の2人目不妊
さて,妊活鍼灸師としてキャリアを積みながらも、私は32歳で結婚。自然妊娠で1人目の子供を授かりました。
そして34歳で2人目妊活をスタート。しかし、血液検査の結果、卵巣年齢はまさかの45歳。
閉経間際の数値だったのです。
これには、本当に落ち込みました…。
子供は2人以上!と何の疑いもなく思っていたのに、まさか自分もだったなんて。
生理が終わってしまうかもしれない。早急に妊娠しなくては。
そこからは、体に良いと言われることは全て行い、鍼も勿論毎週通いました。これを読んでいるあなたと、全く同じ気持ちかもしれません。
タイミング3ヶ月、人工授精5回,その間に2回の稽留流産。1人子供がいるからと、夫は体外受精に反対でした。不妊治療は感情のジェットコースター,自分の心をすり減らす毎日。
次で駄目なら、自腹で体外受精に進もう。私には時間がない…..
思い詰めていた矢先,3度目の妊娠が判明。
嬉しい!でもそこからが勝負です。毎日祈りました。
どうかどうか、この子が元気で生まれますように。
私はひどいつわり体質でもあり、鍼は妊娠中も支えになりました。鍼を受けると2、3日は体が楽なので本当にありがたかったです。
◼️妊活を応援したい
私自身が鍼に本当に救われています。
1人目妊活と上の子がいる2人目妊活は全く違うものでした。
鍼を中心とした体作りが2人目を授けてくれました。妊活,妊娠中、産後、子育て中の今に至るまで、鍼なくして私の健康はありません。
赤ちゃんが欲しい。
2人目が欲しい。
今まで私は妊活中のあらゆるステージの方と関わっています。どのような事を悩んでいて、今後どのように妊活を進めていきたいのかなど、カウンセリングを丁寧にした後、あなたに合った体質改善の治療プランをご提案いたします。
今に至るまで沢山の妊娠までのストーリーに関わってきました。
治療やカウンセリングを通してサポートし、嬉しいお言葉をいただいています。
「辛かった不妊治療中、村越さんがいてくれてとても心強かったです。」 「鍼灸があったから妊娠できました.ありがとうございます。」
家庭から世界を明るく照らしたい。
それが私の願いです。